愛しているからこそ「自分がいない明日」を思う
●愛ゆえの不安を見つめる
「わたしがいなくなったら、この子はどう生きていくのだろう…」
そんな想いが、ふと胸をよぎったことはありませんか?
それは、我が子を深く愛しているからこそ
生まれる不安なのかもしれません。
今回お届けする挿話は、
同じように葛藤を抱えながら日々を生きる、
ひとりの親の姿です。
きっとこれは、
あなたのそばにもある物語なのではないでしょうか。
●【挿話】生きている今日を大切にする
夜のキッチンで、蛇口から落ちる水の音がやけに大きく響いていた。
夕食をつくろうと思って冷蔵庫を開けたが、
何をつくる気にもなれず、わたしはただ立ち尽くしていた。
娘の美咲はここ数日、自室からほとんど出てこない。
40歳を過ぎても、就労もせず、昼夜が逆転した生活を続けている。
カウンセリングは受けているものの、
一度外の刺激を受けると強い不安と頭痛を訴える。
「いまは無理に動かさないほうがいい」
支援員さんは、そう言っていた。
でも、親として何もできない時間がこんなにも長いと、
自分が「この子の人生に何を残せるのか」がわからなくなる。
わたしは68歳。
夫は3年前に定年退職したが、
持病の治療で実家に戻っており、
いまは美咲と2人暮らし。
リビングの時計が20時を指したころ、
部屋の奥から小さな足音が聞こえた。
「おかあさん…ごはん、ある?」
美咲の声は、相変わらず小さかった。
「あるわよ。あたためようか?」
「ううん、自分でやる」
彼女は無言で電子レンジのボタンを押した。
チンという音が静かな部屋に響いた。
それを聞いた瞬間、なぜか涙がこぼれた。
数年前までは、あれほど外に出るのが楽しみだったのに。
学生のころは、ピアノの音が家中に響いていた。
「おかあさん、聴いて!」と笑っていた顔を思い出す。
いま、娘は自室のカーテンを閉め切り、
時折わたしの様子をうかがうように
ドアの隙間から顔を出す。
それでも、
レンジを使って自分で食事を取るようになったことは、
小さな進歩だった。
わたしはその姿を見て、
「わたしがいなくても、この子は食べられる」
と一瞬安心した。
でもすぐに思った。
「食べることはできても、生きていくことは…?」
ベッドに横になりながら、心のなかで問いを繰り返した。
「もしわたしが倒れたら、この子はどうやって暮らしていくのだろう」
冷蔵庫のなか、銀行の通帳、医療費の領収書、支援センターの連絡先。
どれもわたししか知らない。
「この家の仕組みを、全部わたしが握っている…」
そう気づいた瞬間、背筋が冷たくなった。
カーテンの隙間から月明かりが差し込む。
わたしは小さくノートを開いた。
そこには、数ヵ月前に書いた文字があった。
「美咲が安心して暮らせる場所を探す」
「お金の管理方法を共有する」
「わたしがいないときに連絡できる人を決める」
手帳を閉じて、胸にあてた。
その重みが、“覚悟”のように感じられた。
不安は、消せない。
でも、不安を形にすることはできる。
わたしはペンを取り、もう一行書き足した。
「明日、美咲とお茶を飲みながら、少しだけ未来の話をしてみよう」
そう書いた途端、少しだけ心が温かくなった。
「わたしがいない明日」を考えるのは怖い。
でも、いない明日を準備することは、
生きている今日を大切にすること。
静かな夜のなか、レンジの余熱の匂いがまだ残っていた。
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